小島 奈美
居住地 | 大阪府 |
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生年月日 | 1970年3月 |
家族構成 | 主人と子ども3人の5人家族 |
自己紹介
1970年3月生まれ。3人弟妹の第1子として生まれました。
私の育った家庭は、いつも食卓にたくさんのお皿が並んでいて、家族が食卓を囲んでワイワイとにぎやかに過ごしていました。
その中心にいるのはお母さんでした。
お母さんという言葉からイメージするのは、台所でお料理をして、にこやかに笑っている姿ですね。
いつもおいしそうな匂いをまとっているというのがお母さんのイメージです。
まさに私の母はそんなお母さんです。
「しっかりごはんを食べていれば大丈夫。食事が基本だ!」という家庭で育ちましたので家庭の中心にお母さんとおいしいごはんがあって、子ども達をいつも迎えてくれていました。
お母さんとおいしいごはんとにぎやかな家族、私のお家はあたたかく居心地のよい場所でした。
そんな家庭で育ったので、大学を出て企業に就職したのですけれど、キャリアを積むよりも結婚して子どもを産み育てるのが夢でした。
母のように、台所でたくさんのお料理をつくって、手作りのごはんで子どもを育てることが、女性としてキャリアを積むことよりも大切な事と思っていました。
OLも5年ほどで退職して、結婚、出産と女性としての道を進んでいました。
料理をはじめた頃
お料理は習ったことがありません。
母がつくってくれたものを見様見真似で作っていました。
子どもの頃から見慣れたものを買いそろえ、これがいいだろう、これが普通でしょうというものを使っていました。
ごく普通にスーパーで買いそろえられるものをです。商品がどんな材料で作られて、どんな製法で商品となっているのかという事は気にしていませんでした。
主人や家族が元気に毎日を過ごすためのごはんをつくっているのに、気にしていたのは、本に載っているおいしそうなごはんのレシピと、世間一般に言われている「からだにいい○○」という、どこからともなく流れてくるハウツー情報でした。
その真意も確かめず、“みんなこう言ってるから”とか“○○さんがテレビで言っているから”などの確証のない情報を追っていました。
子どもが生まれて
子どもが3人生まれてから、母のようにごはんをつくって食べさせていれば、子どもは元気にすくすく育つと思っていたのに、実際は違いました。
体格は立派なのに、なぜか私の子ども達はすぐに風邪ひいて熱を出して、どういうわけか弱かったのです。
世間一般的に言われている健康情報や、手作りごはんはちゃんとしているのに・・・あれ?っていう感じでした。
ひとり暮らしが長かった主人は肌もボロボロで、見るからに不健康そうでしたが、結婚してから、私の作るごはんで、半年後にはとてもきれいな肌になって健康になりましたから、私の作るごはんは悪くないって信じていました。
今から思うと全然ダメというか、毒を盛っていたと言っても過言ではありません。
というのも信じていたのは、テレビや雑誌で言われている健康情報と、母がつくってくれていたごはんですから。
母の作ってくれたごはんが悪いのではなくて、母もテレビや雑誌で言われている健康情報を信じていましたから、何の確証もないものに振り回されていたのです。
そして、今だからわかるのですが、その頃の私は“いいお母さん”という理想の像になろうと頑張っていました。
手作りごはんと、手作りお菓子、パンも焼いて、いつも片付いたお家。
私いいお母さんとして頑張ってるやん!なんて思っていました。
本質を見ることなく、“こんなものでしょう、普通は”という感覚だけでやり過ごしていました。
そんな私の思い込みに家族を振り回していたように思います。
考えが変わったキッカケ
父の病気がキッカケで、“お塩がカラダに必要”という事を知った時に、とっても衝撃を受けました。
世間一般に言われている事と真逆だったからです。
父が急性膵炎で入院すると、病院での治療は絶食10日間。
その10日間の間、生理食塩水を点滴するだけでした。
その当時、塩はカラダに悪いって思っていましたから、病院の先生に聞きました。
私「お塩はカラダに悪いって言われているのに、どうして、生理食塩水を点滴するだけでよくなるのですか?」
先生「人は塩と水があればしばらく生きていけます。食べないことでカラダが元の健康な状態に戻っていきます。」
というのが先生の答えでした。
塩がカラダに悪いはずなのに、塩と水だけで生きていけるって、不思議でした。
膵炎には治療薬がないのでカラダの機能が回復するのを待つしかないのですが、それでも、世間一般に言われている事と違ったのでとっても不思議でした。
父が退院してから出会ったサロンでは、お塩を摂ってカラダを温めるだけで、あらゆる病気がよくなっていくのを目の当たりにしました。
その上、私はとっても健康でイケてるやんって思っていたのに、私自身が不健康そのものだったことが判明しました。
その原因がおうちごはんにあったのですから、相当ショックでした。
これがいい、これが普通と思っていたことが全くの思い違いだと知って、いろいろ自分で調べるようになりました。
手に取る商品の事、おうちごはんの事、お野菜や果物の事、生活そのものや子育ての事、そして、社会の仕組み。
知れば知るほど、今まで自分が誰かのいっている事をうのみにして知ったように思っていたけれど、全然わかっていなかったことを自覚していきました。
思い描いていたお母さんへ
色々な事を知ってから、お家で作るごはんが変わっていきました。
一番最初に現れたのは子ども達の体調でした。
風邪もひかなくなり、元気に、素直に育っていきました。
また、食卓を囲む家族の姿がとっても楽しげになっていきました。
子ども達が健康で毎日元気に過ごしていると、自分のやりたいことを見つけ、一生懸命取り組むようにもなりました。
おうちごはんって、健康になるためだけではなく、自分の人生を想うように生きていくためのエネルギーを得るための場所だと体験から気づいていきました。
おうちごはんとは、食事という意味のモノではなく、家族が帰ってくる場所でもあるし、心のよりどころでもあることがわかりました。
健康情報を追い求めるのではなく、自分の目で確かめ、本質を見た時、食品や健康情報を見るだけでなく、本当に必要なものを見極めることができるようになったのです。
子ども達にむける目も同じように変化しました。
本当にこの子は何を言いたいのか、この子が私に求めているのは何なのかと、“子どもはこういうもんだ”とか、“これが普通でしょう”という既成概念で見るのではなく、本質を見るようになったのです。
それまでこれが正しいと思い込んでいたことから、本質へと視点が変わったことで、子ども達への接し方も変わっていきました。
やっと、私が思っていたお母さん像に近づいてきたように思います。
子ども達は大学生になりましたが、子育てが終わったわけではありませんからまだまだ発展途中です。
最後に
「食べることは生きる事」言葉では知っていたけれど、ただこうすればいいという事ではなく、本質がどこにあるのかを見ることができたのは、宙の塩に出会ったからです。
ただお塩がカラダに必要というだけではなく、おうちごはんをつくるという事は、家族が集う食卓をつくる事、家族の居場所をつくる事で、集う家族の人生を応援することなのです。
食事を見直す、調味料を変えるというと、どうしてもハウツーになりがちですが、そうではなく、おうちごはんを食べる家族を見つめ、家族の人生を応援するためには何が必要か、何ができるのかを見つめることではないでしょうか?
レシピやハウツーに振り回されることなく、大切な家族を思いやるきっかけを、家族のためのごはんをつくることで皆さんと一緒につくっていきたいと思います。
私が子育てで遠回りした道のりを、宙の塩と糀でお料理する事で分かち合いたいと思います。
手作りしたごはんが並ぶ食卓は、家族が集う場所で、居場所なのです。
家族のために、子ども達のために、楽しくおいしいごはんをつくって、子ども達だけではなく、私達もやりたいことを思いっきりやるためのエネルギーを蓄えられる居場所をつくりましょう!